ゲイの視線、バイの視点。

愛と思いやりをもって、最後まで生き抜くのみ。

#0145 物語の効用

正月早々に大きな地震があって、慌てて災害備蓄の再点検をしつつ、地震で住んでいるマンションが大丈夫だったとしても想定されている震度6強震度7の揺れで周りの木造家屋が崩壊し、火災が起きて火災旋風になって火が回ってきたら備蓄も何もかも無意味になるし、何を持って避難するかとなると限度があるし、となると最終的には少しでもリスクの低い郊外の街に引っ越しするしか解決策はないじゃんか、と途方に暮れ、と思ったらやれ飛行機が、やれ軍事的な緊張が、とスタートから騒がしい。

方丈記に書かれた飢饉、竜巻、地震、大火は、実際に10年ほどの短い期間に京都で起きた出来事であるし、そんだけ一気に災害がやってきたら世を儚んで山にワンルームの庵を建てて引きこもりたくもなるよな、と思うけれど、

それが悟りの妨げになろうとなるまいと、現代社会ではそんな遁世をするのはなかなか難しいことである。

そしてそういう災害リスクは厳然と今も変わらずある。否、巨大な通信システムのインフラに生活全てを委ねている現代社会ゆえ、むしろその被害のダメージは更に大きくなっている。

学校で暗証させられてなぜか今でも諳んじれるのが不思議だけれど、平家物語の冒頭の文章が頭にこだまする。

僕は権勢を振るって暴れたい欲など皆無なので、戦略的無派閥を貫いてきたし、それによって日陰に追いやられて虐げられることなど、屁とも思わない。

むしろ下手に力をもってしまい、無自覚に悪徳を積んで人の恨みを買うほうが空恐ろしい。

何をもって幸福な人生であると定義するかは人それぞれであるけれども、外的な条件付けとして当たり前のように今まで担保されてきた幸福の土台が、根こそぎひっくり返されるかもしれぬ時代に生きているという認識は、多かれ少なかれ皆がすでに感じているのではないだろうか。

物理的にできる対策をして、最悪の事態を想定しつつ、その中でどう生を全うして幸せを味わっていくかについて、よりシリアスに、それでも希望と喜びを見失わないでいるか?漠然と流されていては望まない結末に引きずられてしまうゆえ、僕は真剣に考える。

僕の祖父は3回戦争に駆り出された。無事に生きて帰還している。もちろんだからこそ僕が生まれることができたわけだけれども。

祖父の命日なので、ちょっとゴージャスな晩ごはんを作り、しばし忍びつつ、僕はこのセットの世界の中で、どう生きていくかについて思いを巡らせている。

僕は結婚しないし、自分の子どもを、というのがないゆえ、僕の代で終わってしまうわけで、ごめんね~なわけだけど。

で結局のところ、目標やゴール設定を忘れることなく、今この瞬間に幸せを感じて生きる、しかないのだけれどね。

そして。

こういうセットの世界で、その意味をわかりつつも、共に幸せやあらゆる経験を共有できる誰がを見つけたいし、その手を取って安寧な場所を目指して導いてあげられる相手を求めて生きていく物語を僕は設定して、この世界を生きていこうと思うのだ。さあ、いつ出会えるだろうね。ムフフ。

僕が高揚し、生きる意欲の湧いてくる物語のありようはこんなところである。

この設定の世界の中で、皆さんはどんな物語を紡ぎ、楽しんでいらっしゃるのだろうか。

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仕事で車に乗っているときにラジオから流れてきて一発で気に入り、CD買いに走ったのがもう20年前なんだなと、時の流れの速さに驚くのであった。HYのナンバーは男の子と女の子の声のハーモニーがとても心地よいし、今も時折聴いている。異なる特質を持ち寄ってできるハーモニーの素晴らしさが表現されていて気に入っている。