ゲイの視線、バイの視点。

ほぼ休止中です。時折不意に書くこともあります。

#0056 最先端

甥っ子は18歳になり、いよいよ進路を絞り、自分がどう生きていきたいのか、何を選ぶべきなのか、大きな選択を迫られる時期になり、悩み、苦しみ、ボヤき、頭を抱えているとのことなので、ここ数か月折に触れて愚痴聞いたり、相談に乗ったりしている今日この頃の伯父、48歳である。

30年のジェネレーションギャップは想像以上に大きい。

だいたい、僕が18歳の時に正しいとされていたノウハウや成功するための方法論は、甥っ子にしてみれば「30年前はこうだったと社会の教科書に書いてある昔の出来事の文字列」でしかない。

僕の祖父祖母の年代は、戦争が終わり、これからは石炭の時代だと皆が群がり、あっという間に石油にとって代わられて石炭産業が斜陽になるのとともに梯子を外された世代である。僕の親の世代はというと、いわゆる団塊の世代第二次世界大戦の前後に生まれ、皆が田舎から大阪や東京という都会に出てきて働き、高度経済成長から一億総中流社会、こぞってローンを組んで郊外の山を削ったニュータウンに庭付きの一戸建てを買い、その子どもの世代である僕たち団塊ジュニアは、とりあえず少しでも偏差値が高く、知名度のある大学に行き、名のある会社に入れれば、叱られ怒鳴られしていても、我慢してしがみついてさえいれば、定年まで安定したサラリーをもらえる、それが生存戦略における盤石な勝ちパターンだ、だから他の人と同じことができるように、同じように生きられるように、普通を目指せ、とばかりにケツを叩かれ、進学塾へ通わされていた世代だ。

さらには、バブル崩壊後に社会に放り出され、護送船団方式の仕組みに守られ、潰れるはずがないと信じられていた銀行や証券会社が破綻し、失われた20年と名付けられた、ひたすらオールタイム不景気という時期を生き、就職氷河期、リストラによる解雇や倒産、浮かない話しかなかった世代である。ま、もちろん僕個人の体感、だけれども。要はロスジェネ世代ど真ん中、だね。

スマホタブレットの前にはガラケーがあり、ポケベルがあり、使い捨てカメラやポラロイドカメラがあって、パソコンをネットにつなぐ手段として、光ファイバーのブロードバンドの前にはISDNやダイヤルアップ接続があり、アップルのマッキントッシュの前には一太郎ワープロがあって、コードレス電話機の前にはジーコジーコと回してかけるダイヤル式の黒電話が当たり前だった世代だ。

しかし甥っ子は初めて自分用に持たされた端末がFaceID搭載のiphone11であり、僕が新しいパソコンに買い替えたのを機に、それまで使っていたwindows7のノートパソコンを当時まだ小学生だった甥っ子に譲ったら、ロースペックに苦しみながらも動画編集をして遊んでいた。

というわけで、自分自身の人生をどう切り開いていけばいいのかについて、30年先に生きた人間として何を伝えるかについては、なかなかに悩ましく、試行錯誤の悪戦苦闘であった。

とはいえ人間皆自分自身で人生を切り開ける意志と能力を持っているわけだから、僕が度を超えて心配して憂う必要はないのだ。

18歳といっても、人によって、性格も好みも違うし、誰にでもあてはまる方法論などというものはないし、彼がつまづいている現場で何に困っているかを聴いて読み取り、それに応じて話すわけだけれど

僕が意図したのは、時代が否応なく変化していくなかで、最先端を走る若い世代の彼らに、僕がやらかした数々の失敗含めた人生の経験を伝えることで、なるだけしなくていい失敗をさせなくて済むように、そして彼らがより幸せな人生を選び取れるだけでなく、より類としての人間として知識を得て経験値を上げて進化し、より良い世界を創っていく担い手になっていけるように手助けするということだ。

精神的に疲れ切って、肉体に投影されてしまった疾患と戦っていて、今もお医者さんのお世話になり続けていて、幸せになりたかったはずなのに、失敗と絶望でズタボロになった余波と格闘している、カッコなんてつけようのないありのままの姿をさらして、僕は淡々と話す。こうすればうまくいくではなく、こうしたら、こんな失敗をする、と語る。

親や社会はこうしろと強いて、また、自分が誰かに認められることのみが生存のために唯一のルールだと勘違いをし、したくないことを脂汗をたらして頑張り、辛さのあまり肉体と精神の健康を損なうことにしかならなかった中でも、ああ、ということは、こう考えておけばよかったんだな、この失敗を糧にするとしたら、新しい選択としては、こうすればいいのだな、と

のたうち回り、打ちひしがれて流した涙と汗の結晶を注意深く抽出し、そのエキスを絞り出し、彼にひたすら伝えた。

甥っ子は僕との長々としたやり取りの中で何かを掴んだらしく、現状で今自分が燃え滾ることのできるゴール設定をみつけることができ、今はとにかくそれをなすためにすべきことはこれだ、と明確になったようで、自分であれこれ行動をし始めたと妹から報告を受け、ふう、と安堵している。

そういえば、甥っ子と話しながら、僕の側でずっとモヤモヤとするものがあった。

それはこうしたらいいのに、こう考えたらいいのに、と、思うけれどもなかなか伝わらないもどかしさとでも言おうか。そのモヤモヤの根本をたどっていくと、至極当たり前の結論にたどりつく。

僕が甥っ子のあれこれに対して感じるもどかしさはつまり、僕が僕自身に対して感じるもどかしさなのだと。

最後にはめこむピースを目にしていながら、それを後はただしかるべき場所にはめこめば完成するジクソーを前に、最後のピースが見えないと叫んでいた甥っ子は、まさに僕自身の現状の写し鏡そのものなのだった。

僕自身がまた最後のピースの存在を認識できてない。

甥っ子にあれこれ話した内容は、すべて僕が僕に向けて語ったようなものだ。

独身で子どもがいない僕は、たしかに、唯一血のつながる次世代は甥と姪しかいないし、彼らにできうることをし、もう伝えるべきことはすべて伝えたし、僕はもう人生終わっても本望だぜ、という爽快感はあれども、だ。

最先端にいるのは甥と姪だけでなく、まだ生きるという現場にいる僕もなのである。

 

さあ、と僕は使い古した画板にまっさらの白い画用紙をはめ込んで自らの前に置く。

 


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

 

#0055 それでもなお、何かをよすがにするならば。

国からいただけるマスクがまだ届かずにて、待ちきれないゆえ、役所で売ってる福祉作業所謹製のマスクがいいよと床屋さんに教えてもらって購入したマスクを今日試しにつけてみたら、気温も湿度も高いもんだからなかなかに息苦しい。帰宅して、縮まないように丁寧に洗わなくては、と、洗い方のコツを解説した動画を見ながらつけ置き洗い開始である。

理由は不明だけれども日本は比較的死者が少なく、感染を封じ込めることができたということのようで、そろそろ流行は治まったと見て、良いのだろう。

しかし用心深い僕は、1918年のスペイン風邪と同じパターンがありえると見るならば、第二波としてやってくる今後の流行の方が酷いことになるのではないかと懸念するし、マスクや備蓄食料やら、台風や豪雨、地震対策とセットで考えて、今のうちから少しずつ家にあるものを再点検して備えていこうと思っている。

今冬のインフルエンザやらなんやらの流行に備えて、山積みにされたドラッグストアのマスクコーナーで、ひとつひとつ全国マスク工業会の認定マークが入っているか確かめ、値段を見ながら慎重に検討し、マスクのストックを増やすべく賢くお買い物、である。

さて。

人間は、なぜ生きているのであろうか。生きているとは、どういうことなのだろうか、生きる目的とは何なのだろうかと、新しい風邪ウイルスに対して、個人も国家も含め世界中が対応にほとんどのエネルギーを使うハメになった、この今だからこそ、思うのである。

なるだけ気分が良くなるものを視界に入れ、気分が悪くなるものは静かに遠ざけようとする僕ですら、政治家や個人が発する、建設的な批判とは似ても似つかない揶揄や誹謗中傷、罵詈雑言、さらには暴力沙汰であったり、それらによって起きた痛ましい訃報のニュース等を多々目にしなくてはならない時節であった。

大学で一応心理学を学んできた人間として、これはこれこれこうだ、的な解釈はできるのだけれど、ここはひとつ飛躍して、考えてみたいと思うのだ。

今まで当たり前だと思っていた前提が崩れ、たかが買い物に出かけることすら、人によっては命がけになるという恐怖と不安を前にすれば、やはり、根本的な問いを発せざるを得ないのが、人間てものだろうよと、思うのですよ。

警官隊がデモ隊に催涙弾を投げる映像が流れ、今回の災禍を通じて世界の大国同士による存亡をかけての睨み合いが激しさを増し、新しい冷戦がすでに始まっていて、一方この国では行政機関でありながら総理大臣すら逮捕できる権力をもつ機関の人事の問題が大騒ぎになっているが、ふたつの大国と経済や安全保障において不可分に折り合わされ、飲み込まれているこの国は、政治、経済、メディア、SNS…すでにあらゆる場面で大国の綱引きに引き裂かれる只中に巻き込まれている。そんななかにおいて。

世界はどういうふうに成り立っていて、人類は何を目指しどこへ向かおうとしているのか。そんな中で、個人としての一人の人間に、何ができるのか、できないのか。

一体自分はなんのために生きているのか。

もちろんそれは人それぞれだ。

僕のように機能不全家庭に育ち、愛情を満足に受けられず、暴力を受けて育った人もいるだろうし、様々なトラブル、苦労、経済的な問題、等々に苦戦して生きている人もいるだろう。愛されたいと願い突き動かされているのかもしれないし、ほめられたい、なのかもしれない。一角の人物として称賛されたいのか、モテたいのか、SNSでフォロワーやいいねを万単位で獲得したいのか、または豪奢な洋服を着て、高級車に乗りたい、なのかもしれない。絶望して生きることをやめてしまいたくなっている人もいるやもしれない。

幸せも不幸せも、また、悩みや苦しみ、状況も人それぞれである。

幸せになりたい、と願い、それが手にできないで嘆き絶望しているのかもしれないし、しかし幸せだと思えるものを手にしても、いつかそれを失ってしまう不安におびえているのかもしれない。

どのみち、長くても80年から120年生きたら、この世の肉体を持つ状態からはおさらばをしなくてはならないわけで、さあ、死後の世界なるものがあるのかどうかはわからないし、そもそも、生きているとは何か、死とは何かすら、冷静に考えてみると、正確に定義できないのだけれども。

何かが叶ったり達成できたにしろ、できなかったにしろ

なるだけ多くの時間、心穏やかに、安心していられるのが一番だなあと、しみじみ、僕は思うのだ。

安心や安寧の気持ちを欲すれば、僕の場合は必然的に神仏についてその存在を考えたり、感じたりすることをベースにして世界を捉えるしか方法はないよなという結論に、自然と流れていく。浄土真宗門徒でもあるし、神棚を祀り、神社に足繁くお参りに通うし、もちろんそれは僕の好みであり、嗜好であるけども。

 

神仏を信じない人なら、己の良心と言い換えてもいい。

世界が混乱し、人々の心が荒れすさみ、

余裕がなくなった状況でこそ、である。

目に映る世界に対して

愛、思いやり、優しさ、寛容さを選び、心穏やかでいることを選ぶのか。

それとも、不安や怒りから、他者を罵り、攻撃し、死に追いやるまで狂うのか。

どちらを選ぶのかが、自分自身の表現である。

どんな人間であると自分は世界に宣言するのか。

 

僕らが今問われているのは、たったひとつ、この問いだけであると思うのだ。

目の前の隣人に、画面上の他者に、そして自分の過去と、現在と未来に対して、どんな態度を取るのか。

自分を何者だと思い、他者を何者だと思い、自分と他者に等しく尊厳を認め、敬意を払うのか、否か。

 

自分に返りがないからと、権威や権力者を口汚く罵倒するのも、鬱屈した被害者、弱者として自分を低く見積もるスタンスからのルサンチマンの発露にすぎない。そんな幼児性からは、やはり抜け出さねばならないのだ。

 

それぞれ、皆人生の目的や達成したいゴール設定や夢、ミッションがあるだろう。人間関係やお金、仕事といった分野で、悩み苦しんで戦わざるを得ない中にいることもあるだろう。人生のプロセスとして、答えも解決もなく、ただひたすら苦しみに耐えるという時間を過ごしてきたのが何より僕自身であるし、それが主になるのも否定はしない。

 

お金や、愛情や、喜び、あらゆる栄光を人生で獲得したいことのインセンティブに据えるのは全然ありだし、僕だってそうだし。幸せになりたいもんね、そりゃ。

 

しかしそれはそれとして、愛を選ぶのか、愛ではないものを選ぶのかという問いは、メインの人生に並行して必ず付随してついてくるテーマであり、ひょっとするとこちらのほうがメインなのではないかとすらと思うのだ。

 

神様を信じるか信じないかという問いは、僕には愚問でしかないけれども

自分の良心に従い、愛と思いやりをもって生きることだけは忘れずにいようと決意している、それだけで僕にとっては十分なよすがになるのだ。

 

利他的に生き、他者貢献に生きる、それに越したことはないけれど、何か他者から称賛されるような立派なことをなさなくても、人に優しくする、または、自分に優しくすることだって立派なことだ。自分を愛せず、罪悪感を抱えたまま生きてきた僕は、そう思う。

 

貧乏なままであっても、お金持ちであっても、モテてもモテなくても、容姿端麗であってもなくても、関係ない。

 

愛と思いやりを持ち続けることを決して忘れない、その決意をもって、生きることをやめず、最後のテープカットまで走り抜こうと、僕は思うのだ。ご同輩よ、ともに走り抜こうゼ、とエールを贈りたいのである。

 

愛をもらえず、殴られ蹴られして育ち、愛を求めて、人に認められたくて必死に生き、しかしどう必死に頑張ってもうまく行かず、体と心を壊し、絶望し、時には人を傷つけ、苦しめ、自分が愛されず傷つけられ続けたことに対する根深い怒りをどうしても手放すことができず、何十年過ごしてきた僕がたどり着いた静かな答えだ。

 

そしてさらにそこから進んで、次の答えを具体的に行動として生きるように急かされている。ふぅ、とため息をつき、先延ばしにして駄々をこねているけれども、そろそろ、そんな遊戯も終わらせねばならないよね、と自嘲気味にフフッとニヤけるのであった。

 


椎名林檎 - ありあまる富

#0054 僕らは独立した生命体としての創造主なのであるからして。

僕の周りの友達や家族は皆危機意識高いので、話していてもなんら余計なことを言う必要はない。

とにかく自分の感性と知識で情報を峻別し、危機回避の行動を取る、今はそれのみである。にしても、日々対応に疲れますやな。

ジワジワと減る使い捨てマスクの在庫にらみつつだけれども、布マスクが国から二枚頒布されるそうなので、当座はそれで行けるだろう。

三密を避け、手洗い、うがい、顔洗いをまめに、スマホタブレット、ドアノブ等の消毒も忘れずに、ストレスためず栄養取って睡眠もきちんと確保、これをぬかりなく。

相変わらず政府批判かまびすし、どこもかしこも何やらピリピリ殺気立っていて、しょうがないねぇとは思うし、僕とて、そら、考えはあるし、思うことはあるけれどもさ。

マリオネットの後ろで傀儡操る黒幕を正しく見抜かねばならないと思うのだよ。

しかも、だ。

マリオネットは対になっていて、異なる黒幕が、善玉の顔をした悪玉と、悪玉の顔をした善玉として、その真の目論見を隠したまま煽るのだよ。

飲み込まれてブーイングを飛ばし我を見失ってヒートするのは、ヤツらの思う壺ではないか。

ヒールとベビーフェイスという単純な二元論の対立構造で感情的に反応するのはエンタメとしてのプロレス観戦でやることであって。

黒幕なのだから正体を完全に見抜くことはできないのだけれども、推察は冷徹に、冷静にである。どうせ怒りの矛先を向けるなら、正しい的に矢を射抜かねばならないのだよ。

マリオネットにかみついて溜飲を下げたところで、それは自分の憂さを一時的に晴らすだけの愚劣な遊戯に過ぎぬ。

ご同輩よ、これは荒療治であり、

自分はどんな人間であることを選ぶのか、それを世界に示すという機会なのだよ。

今はとにかく生き延びることを最優先に、創るべきニューエラに焦点を当てて、誰が何を言い、どういう行動をするのかしないのか、観察を怠らず、混乱をやり過ごそう。

もうかつてあった世界構造は壊れるのだし、元の世界に戻ることはないのだから。


Queen - Keep Yourself Alive (Official Lyric Video)