ゲイの視線、バイの視点。

月1程度で書いています。

#0059 おっついたちぃ

朝からエッサホイサと重い身体を駆動し、照りつける太陽にさらして野暮用厄介事折衝事をとっととこなし、炎天下を避けてバスの1日乗車券を駆使して住んでる街の一宮にお参り、である。

祝詞をモニョモニョと上げる人の後ろに並んで順番を待ち、淡々と感謝を申し上げて参拝し、その後は御神体の山に一番近いところで木々の香りを吸い込み、しばしたゆたうのが毎月のルーティン。

滝から吹く涼しい風が清涼で最高だ。ここもまた祝詞上げに来られる方が多いので、ひとりになれるほんの数分を確保するのにしばしスタンバイ。

マンションの給水タンクから出る水は治まらぬ猛暑のおかげでお湯状態。おかげで榊が枯れるのも早かったので、新しい榊を買いにスーパーに寄り、災害備蓄を考えながらあれこれカゴに放り込む。けっこうな量になっちまったな。

さあお会計、意気揚々とマイバッグを取り出したら、コンビニに行く時に使う小さいマイバッグだったことに気づき、チーン。悪戦苦闘して肩掛けのバッグとマイバッグに分けて入れられたものの、どちらもはちきれんばかりの状態。何買ったか丸見えである。さらにティッシュペーパーにトイレットペーパーもあり、持つ手が引きちぎれそうになりながら帰宅である。

www.kantei.go.jp

今日は防災の日であるとな。関東大震災の起きた日でありますにゃ。台風9号に続いて、台風10号が発生し、発達して近年にない勢力で本州に上陸する恐れがあるとおっかない予報も出始めた。

コロナ禍続く中で地震も台風もお構いなしにやってくる。また、冬に向けて商品が品薄にならないうちに、ですにゃ。

さて。ちと昔の話をいたします。

16年前、僕は度重なるストレスに身体がギブアップ、倒れてしまい、大学病院の支店的なクリニックに担ぎ込まれた。極度の脱水だったので点滴を打てばとりあえずは良くなると寝かされ、明日精密検査をするから朝一番で大学病院に行きなさいと言われ、地図と紹介状を渡された。

バリウムを入れられて、昔あった東京フレンドパークのダーツみたいな装置に張り付けられ、ブルンブルン回転する機械で撮影されたりなんやかんや、精算を終えて外に出たら日が暮れていた。

途中、思いつめたような表情で看護師さんがやってきて、僕にパンフレットを渡す。

あなたが患っている病気は、国から難病指定されているものかもしれません。もしこの病気になった場合、残念ながら完治することはありません、と言われ、さらに気分が滅入ってしまった。

結果、僕は疑われたクローン病潰瘍性大腸炎ではなく、過敏性大腸症候群との診断であった。諸処の事情でその病院で治療という選択はせず、実家に戻ることになったけれども、下痢の症状が治まるのに半年ほどかかった。今でも心理的な負担が重くなり、負荷が限度を超えると僕のお腹は暴れ出す。ひどいときは、トイレの前に布団を引いて寝たくなる…そういえば理解してもらえるだろうか。潰瘍性大腸炎を患っている知人がいるので、その大変さは知っている。現状僕は内科で処方される整腸剤だけで踏みとどまれているので至って軽度な方である。

数年後、時の首相がこの病気とずっと戦ってきたと辞任の会見を見て知った。政治的な主義主張がなんであれ、見えている部分だけではなく、見えていない部分での仕事も含めての内閣総理大臣という苛烈極まりない職務をこなす大変さを感じたものだ。

時はめぐり、である。政治的な思想信条は人によって違うし、僕とて、賛意を感じること、そうでないことはあったけれどもである。米中デカップリングがさらにえげつない裂け目となり、挟まれた日本の中で、内政、外交において、これほどの成果を出し、世界各国から評価された首相はいないと感じる。与野党含めてここまで結果を出せる人が他にいたとは到底思えない。正直に残念であるし、頭の下がる思いである。本当にお疲れ様でしたと自然にそう、感じる。

以前にも言及したことだけれども、自分に返りがないからと、権威に対して口汚く罵り、揶揄、誹謗するのは、こじらせたルサンチマンの醜い発露であり、幼稚な振る舞いであると、僕は思う。

自分が世界に投げたものは、自分に返ってくるだけのことなので、なんともお気の毒なことだと思うけれども、政治的思想信条が何であれ、その対象が誰であれ、まずは、人間と人間であり、相手に対して敬意を持ち礼節をわきまえるということを忘れてしまうのは、いかがなものだろうかと。ああ、決してそういう人間になってはいけないと、自分を戒める次第である。

次の首相をどなたがなさるのかはわからないけれども、容赦ない米中デカップリングの裂け目のど真ん中に日本や韓国は置かれていて、経済だけでなく、安全保障といったことも含めて、危うくなってきていると僕は日々ニュースを拾いながら感じている。

コロナ禍が続く中で、台風の上陸や地震の懸念もあるし、日本が巻き込まれる軍事的な有事やテロが起きないとは限らない。

日本が平穏で安全であることがこれからも継続するのを祈る気持ちも含めて、氏神様に感謝申し上げにお参りするのであります。神社は願掛けに行くのではない、感謝を申し上げに行く場所なのだと大学の恩師から懇々と諭された言いつけを変わらず守っているのでありました。

自分の心根が、天に恥じないものであるように生きていきたいと、強く思う。


東京事変 - 「喧嘩上等」from Just Can't Help It.

#0058 食べすぎの言い訳

僕の家系の墓はマンションのロッカータイプである。味気ないと今だと言われるのだろうが、亡くなったら親鸞さんの近くに、という門徒の憧れのお墓なのである。九州にある本家のお寺さんから分骨してもらい、皆がいる関西の墓参りできる場所に、と僕が3歳の頃に祖父が購入したものだ。僕が祖父と直接会ったのはその時が最後であり、祖父と色々な話をするという経験を僕は持っていない。

祖父が亡くなり、そして伯父はクリスチャンということで、早いうちにお墓の名義が僕のところに回ってきた。バス1本で行けて家から30分という便利な場所にあり、両親、祖父、祖母のお骨が眠っているのだけれど、今年の母親の命日は、新型コロナウイルス感染拡大防止のためにということで建物が閉鎖されてしまい、墓参りができなかった。緊急事態宣言が解除になり、お盆のシーズン、お参りできるようになりやれやれということで例年通りお参りすることができた。

お盆の入りには迎え火を灯して、という習慣が残る地域もあるけども、一人暮らしの部屋にそこまでするのもおよよ、なので、毎朝いつもお線香は上げているのだけど、お盆の間は特に、ご先祖さんが遊びにきていらっしゃるから、思い出し、自分たちが今こうして生きられている感謝の気持ちを持ち過ごすという、若い頃ではありえなかった過ごし方をここ10年ほどしている。

おとといあたりのことだが、夜寝付けないままウトウトしていると、夜明け頃、夢の中で母親から電話がかかってきた。入院している病院の食事がまずい、なのでハムを50枚もってこい、と命令が。ハ、ハム、50枚?

あまりに生々しい夢だったので、妹に、ご先祖さんが喜びそうな食事をお供えとして食べる時期だけど、何やらハムをご所望のようだ、と報告した(笑)

甘いものはあまり食べないのだけど、この時期はスイーツを買ってお供えする。一人ではそうそう食べきれないので、コンビニのスイーツがちょうどいい。

でもって、やれ、お肉だ、お刺身だ、と、普段贅沢せず質素な食生活している僕があまり食べないものを買って食べる、それがお盆なのだ。

16日は、いよいよ、帰ってきてくつろいでいただいたご先祖さんがあちらに戻られるタイミング。京都では五山の送り火があるので、マンションの屋上からかすかに見える左大文字を眺め、また来年お会いしましょう、と見送るのだ。小学生のときは近所のマンションの屋上から、すべての送り火を見ていたなあと懐かしく思い出す。

今年は残念ながら、中心点1つしか点火しないところがほとんどで、金閣寺近くにある左大文字も1点点火とのこと。やむなし。ならばKBS京都の中継を見て送るのだ。

送り火の前に、もう少しごちそうを、とお刺身などを買って帰り、夕飯にする。

自分が知っているご先祖さんだけでなく、会ったこともなく、名前もわからないご先祖さんにも思いを馳せつつ。

祖父は3回、戦争に招集され、3回とも無事帰還している。お墓にあるロッカー下段には、祖父がお国から頂いた様々な褒章の書類等も、保存してある。

無事生き残って帰還できたことはすばらしいけれども、それによって惨めで嫌な思いも色々と味わって苦労してきたという話も聞いている。とはいえ、それも、生きてこそである。

そして、祖父の兄のひとりは、インパール作戦で戦死している。おそらく餓死、とのことだ。無謀な作戦の代名詞とされる、アレである。組織と個人のあり方について、我の強い僕は様々思いや感情は湧くけれども。

まったく、切ない話だぜ、と思いながら、お刺身を、ご先祖さんに召し上がってくださいと思いながら口にする。いやあ、うまい。スーパーで買ったパック入りのものにすぎないし、港のある町で食せるものほどではないだろうけれど、マグロ赤身、うまいですよ。

お醤油とわさびにつけてご飯といっしょに頬張る。

わさびでツーンと、来た?いや、違うな。喜んでくれているような情動がなんとはなしに、自分を通して伝わってきている感覚で、目頭が熱くなる。

祖父のお兄さんは、生きているあいだ、腹いっぱいにメシ食ったっていう感覚を味わえたことがあったのだろうか。代わりに僕が腹いっぱいになっております。ハイ。

もちろんハムも色々料理に使ったのは言うまでもない。というわけで

た・べ・す・ぎ・た

いいのだ。いいのだ。命をつないで、今こうして生きている。僕には子どもがいないけれど、僕が僕の生をまっとうするべく、また、明日から頑張って生きればいいのだ。

#0057 サバイバル

僕が学生のときの記憶なのだが。

今は衆議院議員で、かつてはNGOの代表をしていた活動家の人が朝まで生テレビに出て言っていた内容が今も忘れられない。

新聞やテレビというメディアが報じているのは事実ではなく、発信する側が、大衆という読み手、受け取り手に対して、書き手が望むような特定の印象、感想、意見を持たせたいと意図して誘導するために書かれたものだと。だから書いてあることをそのまま鵜呑みにするのではなく、どういう意図で発信者が書いているのかという背景を推察し、どう思わせたいのだろうか、と考えて受け取るべきものが報道というものなのだと。要は、自分の頭で考え、調べ、真実はどこにあるのかを掴んでいかねばならないのだと。うろ覚えだし、正確ではないかもしれないが、僕が記憶しているのはこんなところである。

学生のときにそれを耳にして衝撃を受けると同時に、確かにそうだよな、と納得もした。要は自分の頭で考えるというクセつけないとダメなんだよなと。つまり、勉強して知識つけないと、人生においてずっとババ(つまりは貧乏くじ、ジョーカー)を引かされるのだと。

今はネットが普及し、報道という権力機関が主観と何かしらの政治的意図をもっていることがはっきり見えてくるし、いと恐ろしやとたそがれるわけである。

ぼんやりしていると日本の財政は破綻するぞ詐欺に騙され、どんなに不景気になろうが増税を受け入れなければならない、仕方ないのだと洗脳される次第だ。ああ恐ろしや。

だからちゃんと勉強して見識つけておかないといけないのだよな、としみじみ思う。

今はネットメディアもテレビ番組と同様に広告と見紛う記事を書いているし、記事を読むにも広告をかき分けながら読まねばならない。倫理も道徳もありゃしないカオスである。先日の著名人の自殺報道についても、WHOの報道のガイドラインを守っていたところは皆無だったと思う。まったく、呆れて言葉がない。

(WHOのメディア関係者に向けた自殺対策推進に向けた手引き)

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さて、コロちゃん騒ぎは収まるどころか感染者の数が記録更新だと数を数える競争で、センセーショナルに不安を煽る記事を書いてアクセス数を稼ぐご商売がさかんである。

もうじゅうぶんマスクが足りているのにまだ8000万枚も配るのか!けしからん!だとか、どうだとか、相変わらずかまびすしい。

Go toに続く単語はHellですやんかいなキャンペーンなんぞ他人事なので、僕は淡々と、マスクを探して用事ついでにドラッグストアを回り続ける。

全日本マスク工業会認定のマークの入ったマスクはなかなかない。売っていても5枚とか7枚入り。そして値段はまだまだ高い。50枚入りの箱で売っていることは稀だ。

合間を見て、山積みになった認定マークのないマスクを避けて、ちゃんとした性能の不織布マスクを、今のうちに在庫のストックとして目標の枚数に達するまで、値段を見てお財布との相談をしつつ、購入を続けるのだ。

秋冬になり、中国とアメリカの緊張状態がさらに高まって、また中国からのマスクの輸入が滞ったとき、ちゃんと手に入るだろうか?僕は怪しいと踏んでいる。

地震、噴火、豪雨、竜巻、台風、といった災害とコロナ禍が重なって起きる事態はこれからもありえる。周辺有事や国家間の緊張状態が起きれば、商品の流通はいともたやすく止まる。

日々洗える布マスクと使い分けながら過ごしているが、もしウイルスの毒性や感染力が強くなった場合、やはり、それなりの性能をもった使い捨て不織布マスクがないと困る気がする。

そして全日本マスク工業会認定のマークが入っているということは(そのマークを偽造したマスクも一時期出回っていたから始末が悪いのだけど)、それ相応の性能を担保している証明になる。

そしてそういうマスクはまだまだ高値な上、ぼんやりしているとすぐに売り切れるのだ。マスクだけではない。ティッシュやトイレットペーパー等も、自宅にストックする在庫を増やしているし、いざ供給が止まり、買い占めパニックが起きて売り切れになってもしばらく困らないようにしている。水害リスクもあるので、食料の備蓄はゆっくりだが、いずれ本格的にストックを作ろうと思うし、今はとにかく衛生用品を重点的に、である。

もともと他人と社会的距離を多めに取る僕なので、当たり前のように距離を置くから以前と変わりないし

まめな手洗いにうがい、洗顔、手指のアルコール消毒、パソコンのキーボードやマウス、ドアノブ、電灯のスイッチ、リモコン、スマホやらなんやら触るものはアルコールシートでふきふき、と緊急事態宣言出る出ないのあたりの時期から何ら警戒モードは変えていない。

頼れるのは自分の勘しかない。その勘に頼る前に、考え、判断できる材料を知識として取り入れる作業もぬかりなく。

テレビの番組もネットのニュース記事も、おいおい、とつっこみたくなるような稚拙な煽りで、生存本能を刺激し行動を起こさせるネガティブな感情としての不安や怒りを呼び起こさせ、政府や特定の権力者、権威等に対して反感を持つように仕向ける企みに満ちている。

パソコンやスマホに届くメールの半分は特殊詐欺だし、LINEのアカウントが乗っ取られているだの、Amazonです、だの、荷物をお届けに上がりましたがご不在でしただの、手の込んだタイトルで開封、クリックさせようと企んでいるし、固定電話にかかってくる電話はほとんどが勧誘か営業か、要は変な用件。

つまりはサバイバルなのだ。世界には天使も悪魔もいるし、いいヤツもいれば悪いヤツもいる。決して悪いヤツばかりでもなければ、いいヤツばかりでもない。鬼もいれば泥棒もいるし、ペテン師もいれば、観音様のような御心をもった人もいる。

さあ自分は何者かを表現するために生きているのだろうけれども、まずは生き残らねば、話にならない。

まったく妙な時代に生まれたもんだ。せいぜいめいっぱいこのエンタメを楽しむしかないよな。

幸せになるために、または幸せであることを味わい楽しむために生きていると思うけれども、真反対の不遇、生きづらい毎日に疲れ気味かもしれないけれども、スパイスとして、こういう状況だったり、ままならないことを楽しみ、また冷静さを忘れず、油断せず警戒し、生き抜こうではありませぬか、ご同輩。

せめて今日、この今を、上機嫌でいるようにつとめて、行きましょう。


東京事変 - 閃光少女